今日も1日お疲れ様です、蟲人です。
この世には自分以外の他人が何十億と存在しますが、彼らからの評価で自分の価値を決めてしまう事はよくありません。
他人の目を気にしてしまう人の性
自分は今でこそ好きな絵を描いて一人で気ままに生きている訳ですが、以前でしたらそんな生き方をしていたら他人に何か言われるのではないかとビクビクしてしまい、表向きは無理をして普通の人を演じる様に心掛けていたと思います。
しかしながら『他人からどう見られているのか気になってしまう』のは、もしかすると人間が格差社会で生きる様になってきた頃からの、ある種の遺伝的な思考回路から来ている可能性があるので、これは仕方がないことなのかもしれません。
ですがそうだとしても正直な所、他人からどう見られているのか、どう思われているのかなんて、一々気にして生きていくのは実に面倒臭いことですので、最近はもう面倒くさくなって自分の好きな様に生きております。
その一方で、他人からの評価ばかりを過剰に気にしてしまい、他人からの評価次第で自分の存在価値すらも決めてしまう人が、この世のには随分沢山いらっしゃる様にも感じています。
そういった人達は、他人からあまり良い評価を貰えなかった時には、『自分は役に立たない人間だ…』とか、『自分には良い所がなにもない…』と、他人からの評価だけで自分の良し悪しを決めてしまう部分がある様に思います。
他人は他人なので自己評価の基準にはならない
他人からの客観的な評価は時と場合によってはとても効果的な場合がありますが、その評価で自分の存在価値を決めてしまう事は良くないでしょう。
何故に良くないのか…それはあくまで他人は他人であり、当然ながら自分ではないので考え方が100%一致する事は皆無であり、その他人ごとによって良し悪しの基準に大きなバラつきが生じてしまうからです。
自分が良かれと思って始めた事でも、他人からすれば悪く思ってしまう事もあれば、自分は悪いと思っている事でも、他人からは良いと思われてしまう事も多々あるものです。
これ程までにバラつきの生じてしまう他人からの評価で、大事な自分の存在価値を決めてしまうのは早合点であり、自分の本当の存在価値というのは、自分自身で見付け、考え、決めるものであると感じます。
自分で自分の存在価値をしっかり持つ事で出来れば、バラつきのある他人からの評価で自分の存在価値が揺らぐ事は殆どなくなってしまうでしょう。
まとめ
他人からの評価というものは、とても効果がある様に見えて、実際にはあまり根拠がなく頼りないものであったりするので、他人の評価を一々気にして自分がブレブレになる必要はないですし、その評価に自分を合わせようとする必要もありません。
他人から様々な評価をされたとしても、自分の存在価値をしっかりと持ってブレずに堂々と生きていく事の方が、今後の社会で生きていく為には必要なのかもしれません。