今日も一日お疲れ様です、蟲人です。
毎日朝早くから夜遅くまで働かれている社会人の皆様、将来の為に働く事も大事な事かも知れませんが、それを理由にして今を生きる事を忘れていませんか?

働けば働く程『良い人生』なのか?
皆さんは、働けば働く程将来の暮らしが幸せで安定したものになると、心の何処かで無意識に考えていませんか?
少なくとも、今一生懸命に仕事に精を出して働いている人達を見ていると、自分はそんな気がしてなりませんが、果たして真面目に仕事一筋の生き方をして、本当に将来の自分は幸せで安定した生き方をする事が出来るのでしょうか?
個人的には働く事である程度安定した暮らしは出来ると思うのですが、それが幸せであるかと言えばそうでもないと思います。
働き詰の人生を送った人が後悔する事
以前、インターネットで非常に興味深い記事を読んだ事があったのですが、それはオーストラリアの病院で働く看護師が、恐らくは仕事に人生の殆どの時間を費やしたであろう高齢者の患者達が、人生の最期に後悔する事を記録していたと言うお話です。
その看護師の記録によると…
- 生きたいように生きる勇気が足りなかった。他の人がのぞむように生きていた
- 働きすぎの人生だった
- 自分の感情を表す勇気が足りなかったのを悔やむ
- 交友関係を保たなかったのが残念だ
- もっと幸せになることを自分に許せなかったことが残念だ
上記されたこの5つが、最も聞かれた後悔の言葉だったそうです。
自分が好きな様に働いて、好きな事に時間を使う事を最重要課題として考える様になったのは、この記事を読んだ事が発端だと言っても過言ではありません。
働く事=生きる目的ではない
自分は働く事が嫌いなトンデモ思考の持ち主です。
その代わり、もし明日自分が死ぬ事になったとしても絶対に後悔しない様に、毎日自分の好きな事を出来るだけ出来る様に、自分にとって必要最低限の仕事だけをこなして、自分の好きな事をする時間を沢山取れる様に考えてます。
自分の中ではあくまで働く事は自分が最低限の衣食住(+α)を続けていく為の手段であり、決してそれが自分の人生そのものになってはいけないと考えています。
働く事が生きる目的なってしまった瞬間に、恐らく最期の瞬間にきっと後悔する事となるのでしょう。
まとめ
自分のブログを読んで下さっている読者の方々の中には、毎日働き詰でへとへとになってまで頑張っている方々も多いのではないでしょうか。
自分はそう言った方々を決して自分の人生を蔑ろにしているとは思いませんし、家庭を持っている方であれば仕方がない事だとも重々承知しています。
ですが、そうして毎日頑張っている方だからこそ、人生の最期の瞬間に後悔しない様に働き詰めな生き方ではなく、今も楽しめる様に生きて欲しいと思っています。