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『今』はいつか必ずなくなるもの。



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今日も一日お疲れ様です、蟲人です。

毎日当たり前の様に存在している『今』は、いつか必ずなくなってしまうものです。




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うちの畑がなくなる事になりました

自分の祖父母は、自分が子供の頃から近所に畑を借りて家庭菜園を続けていましたが、つい先日その畑の持ち主が変わってしまった事で遂に畑を手放す事になりました。

いやはや、本当に物心付いた頃からその畑でいつも遊んでいたり、最近までは近所でも数少ない昆虫の観察スポットとして入り浸っていたものですが、それが遂に出来なくなってしまう事を実感して、その日は心の何処かにポッカリと穴が空いてしまった様な感覚になりました。

そして同時に今まですっと存在していたものはいつか必ずなくなってしまい、それは予告なく突然訪れてしまうものであると気付かされたのです。

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『今』は永遠の存在ではない

人間とは自分の周りに存在するものに接している時間が長ければ長い程、どういう訳かそれらは永遠に変わらず存在す続けると思い込んでしまうものです。

そうなってしまうと、今そこに存在しているものに対してあまり感謝をしなくなったり、ぞんざいに扱ってしまったりしてしまうものですが、この世には何も変わらずに永遠に存在し続けるものなんて存在しません。

それは自分の家族かもしれないし、自分が子供の頃から大事にしているお気に入りの玩具かもしれないし、自分が頑張って努力して習得した資格かもしれないけれども、それらもいつか必ずなくなってしまうものです。

家族であればいつか歳を取って死んでしまうし、玩具は年月が経てば劣化して壊れてしまうし、資格だって時代が変われば必要のないものになってしまう事だってあります。

本当は『今』存在しているものは、ある日突然消えてもおかしくない位に儚い、まさに風前の灯の様なものなのです。

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『今』存在する有難みを覚えておく

自分は祖父母が作っていた畑の作物や畑に生息していた昆虫達が、これからもずっと存在し続けるものだと思い込んでいたのですが、畑がなくなる話を聞いて改めて『今』自分の周りに存在しているものの有難みを思い出したのです。

今までは畑があったから新鮮な野菜を食べる事が出来ていたし、畑があったから自分の好きな昆虫を間近で観察する事が出来ていたのですが、それはある日突然なくなってしまったのです。

いや、祖父母もかなり高齢になってきていたのでずっと続けていく事が難しい事は理解してはいたのですが、まさかこんな風に突然終わるとは思っていなかったので、中々にショックは大きかったものです。

しかしこれは祖父母の畑に限った事ではなく、祖父母もいつかは亡くなってしまいますし、自分自身もある日突然大きな怪我や病気をして、今の様な生活が出来なくなって可能性だってあるのです。

そう考えると、改めて『今』此処に存在しているものがどれだけ大事なもので、どれだけ儚いものなのかを痛感した出来事であります。

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まとめ

『今』って言うものは『今』しか存在していないものなのは、案外みんな分かっている様で分かっていないものだと思います。

じゃなかったら『今』やりたい事を先延ばしにしようなんて思わないし、『今』やらないといけない事をやらないと自分が望む未来が手に入らなくなる事に気付く筈ですからね…先延ばしはロクな結果になりませんよ!

特に家族関係で後々後悔する人は結構いらっしゃると思いますので、『今』存在している全てのものをいい加減にしない様に生きていたいものです。

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