今日も一日お疲れ様です、蟲人です。
人間は面倒臭い事が嫌いな生き物ですが、その面倒臭い事をする事もまた一興だと自分は思います。
面倒臭い事が減ってきた現代
時々改めて感じるのですが、現代って本当に便利なものが多くて楽な時代ですよね。
食べ物は冷蔵庫に簡単に保存出来るし、日々溜まる洗濯物も洗濯機で直ぐに洗えるし、ちょっと遠くに出掛けたくなったら自転車なり自動車なり電車なり飛行機なりで何処にでも行けるし、地球の反対側の人ともスマートフォンがあれば直ぐに繋がる事も出来ます。
どれもこれも数十年前には考えられなかったものばかりですが、本当に便利な世の中になっています。
そう言った便利なもの達は、先人達の好奇心や向上心から作られたものですが、その根源には『これ面倒臭いから簡単にしたいな〜』と言う気持ちもあったと思います。
しかし、時にはその面倒臭さが良かったりする事もあります。
面倒臭い事は悪い事ばかりじゃない
自分は画家活動に必要な画材や、趣味で読む書籍をネットショップで買う事が多いのですが、その際には購入する前に近くの実店舗で試せるものであれば実際に足を運んで見てから購入する事が殆どです。
折角ネットショップで購入出来るのに、わざわざ外出して商品を見てくるとは本末転倒に感じるかもしれませんが、基本的に自分は実物を見てからでないと気が済まないタイプの人間であり、またわざわざ外出して店舗に足を運ぶと、大抵の場合は目的のもの以外に良いものを見付ける事が多いのです。
そもそもネットショップで商品を購入する理由は欲しい商品の在庫が大抵あるという事、そして価格が店舗価格よりも安い事だけなので、それ以外の場合には店舗に足を運んでいる訳です。
で、画材店であれば新しい画材が出ていて『お、これ試してみたいな』とか『コレは自分の作風に合ったものだな』と色々考えて楽しいし、そもそも何も買わずとも所狭しと並べられた画材達を見ているだけでもとても楽しいですし、書店でも新作の本が出ていれば立ち読みして面白ければ買ってしまいますし、時々工芸や技法の本を読んで勉強したりする事もあります(コレは専門学校時代の恩師に教わった)。
要するに、何でもかんでも面倒臭がって便利な方法ばかりに頼ってしまうより、多少面倒臭い事をしている方が新しい発見に出逢えて面白かったりするのです。
考える機会も減っている気がする
様々な事が便利になるという事は、今までの面倒臭い事がなくなって余計な時間や労働がなくなるという事であり、同時にあれこれ考える余白の時間と言うものも減っているのではないかと思います。
自分にとっては面倒臭い事は一種の気分転換にもなっている部分があり、また何か明確な目的がある訳でもない余白の時間が持てる時なので、その頭に余白がある時には普段なら気にしない様な事に注目出来たり、頭の中に分散している色々なアイディアがくっ付いて新しいアイディアが閃いたりするのです。
少なくとも、自分は先程の様に店舗へ足を運んで画材や書籍を漁っている時や、外を散歩している時に結構アイディアが出てくる事が多く、逆に家でダラダラとネットショッピングをしている時にはあまり良いアイディアは出てきません。
そんな風に、人間は物事を考える時には目的の為に一生懸命考える他にも面倒臭い事…つまり慣れ切っている作業をして敢えて何も考えない余白の時間を持つ事も必要なんじゃないかと思います。
面倒臭い事を徹底的に駆逐する様々な便利なもの達によって、人間の暮らしはだいぶ楽にはなっている半面、人間はどんどん楽な事に依存して自分でアレコレ考えたり行動したりする事を避けている様にも思います。
だからちょっとでも難しい事があればすぐに理解する事を諦めてしまうし、ちょっと手間が掛かる事があればすぐに飽きてしまうという感じに、ちょっとでも面倒くさいと感じてしまう事からすぐに手を引いてしまうのではないでしょうか。
しかし、様々な分野で成功している人や、創作活動を続けている人は、そう言った面倒臭い事の中に自分にとって必要な事が存在している事を理解しているから、難しい事でも諦めずに出来る所まで頑張るし、手間が掛かる事でもじっくり取り組む事が出来るのです。
まとめ
自分も面倒臭い事はあまり好きではないのですが、大抵の場合はその面倒臭い事をしている時が一番気分転換になるので、何だかんだ言っても面倒臭い事をこなしてしまったりします。
本文に書いた以外にも、お弁当用のおかずのストック作りだったり、部屋の掃除だったりは、終わった後に気分もスッキリして良い感じです。
面倒臭い事は決して忌むべき事ではなく、自分が新しい発見と出逢う可能性のあるイベントでもあると思うのです。