今日も一日お疲れ様です、蟲人です。
仕事は人間が生きる為に必要なお金を得る手段として必要な手段ですが、生きる手段である仕事は時として人を死に追いやるものです。
癌闘病中の母親
自分の母親が今年の10月に膵臓癌の宣告を受けてから早2ヶ月が経つのですが、先日その母親から姉を交えて『一緒にご飯をたべよう』と言う提案があったので、約6年振りに家族で食事に行きました。
6年振りに会った母親は、自分の最後の記憶よりも歳を取っていて、抗がん剤治療の副作用もあってかかなり痩せてはいましたが、以前よりも顔付きや言動は穏やかで明るい感じになっており、今は治療に専念しているので仕事も辞めて家で過ごしているとの事で、終始話も楽しく出来て意外にも元気そうでした。
とは言え他の癌に比べて完治が非常に難しいので、今後も最期の瞬間を出来るだけ先延ばしにする為の抗がん剤治療を続けていく事になるのですが、それでも仕事をしていた時よりも随分と安定している様でホッとした次第です。
仕事は時に人を死に追いやる
今になって思い返してみれば、自分の母親は仕事でのストレスをかなり抱えていた事で、言動や表情が刺々しいものであったのだろうと思います。
その証拠に、癌宣告を受けてかなりしんどい抗がん剤治療を受けている筈なのに、職場の友人と箱根に旅行に出掛けたり、体力作りを兼ねて自転車で散歩に出掛けたり、、誕生日である来月には姉とディズニーランドに行く予定を立てたりと、割と好きな事をして過ごして楽しそうです。
仕事は人間が生きていく為に必要なお金を得る為には必須の手段ではありますが、その手段でしかない筈の仕事で自分の心身を壊したり、自ら命を絶ってしまう人が近年は特に多いと感じます(恐らくは新型コロナウイルス も原因にはなっているかもしれませんが…)。
そして拍車をかける様に、日本では『仕事=嫌な事』と言う方程式が根強く、生活の為に嫌な仕事や興味のない仕事を無理に続けている事で、ますますストレスを抱えてしまう状態が常態化しているので、今後も自分の母親の様に仕事で大きなストレスを抱え過ぎて死期を早める人が出続けるのでしょう。
アルバイトでも生きられます
自分は専門学生の頃にお世話になった恩師に、『今はアルバイトでも生活は出来る』と言う言葉を貰って以来、その後の画家活動では『アルバイトでもどうにかなる』と言う大いに気楽な心意気で活動する事が出来ております。
しかし、自分としてはこの気楽さが創作活動には必要な余白であったと今は実感しており、仮に正社員として何かしらの仕事に就いていたとしたら、収入の心配は今ほどなかったとしても、きっと自分の母親の様にストレスばかりを感じて画家活動どころではなかったと思います。
現代人はあまりにも『正社員』と言う立場に縋り付き過ぎているとも思うし、また『正社員』と言う立場に対しても過度な期待を持っている様にも感じます。
しかし、正社員でもアルバイトよりも収入が少ない人もいますし、昨今の様な不況の中ではあっさりリストラにされてしまう事も少なくないです。
そして、自分の母親の様に仕事のストレスで不可逆的な位に身体や心を壊して、仕事どころか日常生活すらまともに送れなくなってしまう様な人も、以前よりも今は圧倒的に増えているのです。
あくまでも仕事は生きる為の手段でしかなく、余程好きな仕事ややり甲斐のある仕事でもなければ、それ自体が生きる目的になってはいけないし、するべきではないのです。
まとめ
取り敢えず、自分の母親が今一番気楽にのんびりと生きられている様なので、今はホッとしておりますが、やはり好きでもない仕事に自分の人生の時間や労力を掛け過ぎるのは嫌ですね。
せめて自分の好きな事を仕事にするの半分と、その補填で別の仕事をするくらいにして、自分に余計なストレスが溜まる状態を可能な限り減らしていく方が、長い目で見ると良いのかもしれません。
皆さんも、くれぐれも生きる為とは言え、自分の母親の様に仕事に殺される事がない様に気を付けて頂きたいと思います。