明けましておめでとう御座います、蟲人です。
2022年も自分の思うがままのブログを徒然に書いていくと思いますが、皆様引き続きお付き合い頂けますと幸いです。
2022年最初のブログは、他人が幸せになっているからと言って、自分が不幸になる事はないと言うお話です。
先日知人から吉報を聞いた
自分の職場に自分と同じ様に絵を描く事が好きな方がいらっしゃるのですが、その方、以前は絵を描きたいとは思っていても中々出来なかったそうなのですが、自分と話をする様になってから本格的に画材を購入して現在コツコツと作品を製作されているそうで、職場で時間がある時にはお互いに絵の話について話したり出来て楽しいものです。
その方から先日『鎌倉で開催するイベントに絵を出して貰える事になった!』と言う吉報を頂き、日頃から絵についてお話ししていた事もあり、自分も『めっちゃ良かったじゃないですか〜!』と喜んだものです。
皆さんは自分以外の方が幸せになっている時、その人の幸せを一緒に喜んであげる事が出来ますか?
他人の幸せで自分は不幸にならない
他人の幸せを喜べないのは、まず自分自身が自分自身を幸せにする努力を怠って、自分の幸せを知る事も感じる事も出来ていない事が原因だと思います。
確かに、以前の自分も自分以外の方が展覧会で賞を取ったり、イベントでたくさん作品が売れていたるすると『なんであの人が賞を貰っていて自分は貰えないんだ!』『自分だってこんなに頑張っているのになんで作品が売れないんだ!』と憤る事もありました。
しかし展覧会で賞を取った人や、今は売れっ子になって作品が売れている人も、今はそうであっても以前は作品が中々評価されない事や、作品が思う様に売れずに悪戦苦闘した事もあったでしょう。
少なくとも自分が賞を取れなかったり、作品が中々売れないと言う事実は、その方達が成功して幸せになった事が原因ではないのです。
もしもそう感じる人がいるのであれば、それは自分の幸せを見付ける努力を怠っている自分自身への不満や、自分が幸せに感じる事が出来ない事への憂さ晴らしを他人へぶつけているだけなのです。
自他共に幸あれ
とは言え、他人の幸せを素直に喜べない事、ついつい僻んだり妬んだりしてしまう事、何となくイライラしてしまう事、これは自分にも時々あります。
そう言う時は大抵自分自身にゆとりがなくなっている時で、そんな時には自分自身の幸せを見付けたり感じたりする心のゆとりもある訳がないので、そもそも他人の幸せに共感しているゆとりもないのです。
自分自身の幸せを見付けて感じる事が出来る状態は、他人の幸せに共感出来るゆとりもある状態なので、結果的には自分自身の幸せを持つと言う事は他人の幸せも一緒に喜べると言う事なのです。
幾ら表面上で他人の幸せを喜ぼうとしても、自分にゆとりがない状況だと無意識のうちに言動や表情に棘が出てしまうので、『今はあんまり他人の幸せに共感してあげられないな…』と感じた時には、無理に共感しようとせず、まずは自分をゆっくり休ませて自分が幸せを感じられる事をじっくり楽しめば良いのです。
それは決して自己中心的なのではなく、自分自身を幸せにする為に必要な自己肯定感を構築する為に必要な休息なのです。
まとめ
自分は一人暮らしを始めてから数年経った頃、ようやく自分のライフスタイルなどが確立されてきた事で、他人の幸せや成功に対して過度に僻んだり妬んだりする事が減りました。
先程も書きましたが、自分の心のゆとりがなくなっている時にはやはり僻みや妬みの感情が顔を出しやすく、それが逆に自分のメンタルヘルスを整える目安にもなっているので、心のゆとりがなくなったと感じたらまずはSNSを使わない、そして読書やアプリゲームなどをして気分転換をする様にしています。
自分の幸せと他人の幸せは、双方が幸せな状態だからこそ共感出来る事なのです。