今日も一日お疲れ様です、蟲人です。
常に忙しなく行動している事が当たり前の現代人にとって、本当に幸せで贅沢な事とは何なのかを考えてみました。
最近とても満たされております
ここ最近、自分は大きな気持ちの落ち込みや身体の過度な疲労感などを感じる事も少なく、『アレが欲しい!』『コレが欲しい!』という強い欲求に苛まれる事もなく、日々随分と穏やかに過ごしている気がします。
収入に関しては相変わらずで、何処かへ気軽に遠出したり高い買い物がすぐに出来る様な持ち金は持っていませんが、かと言ってたまに近郊に気分転換に日帰りで出掛けたり、寄り道してちょっとした雑貨を購入したり、近所のお気に入りのカフェでモーニングを頂きながら読書をするくらいのゆとりはあります。
先日はとある自然公園に足を運んで、ベンチに座ってただ自然を感じながら小一時間ばかりボーッと過ごしただけで帰ってきましたが、それだけでも心身をリフレッシュさせるには十分な時間でした。
『何もしない』と言う贅沢の極み
数年前、自分は広島と京都へ一人旅に出掛けた事がありましたが、その際にはどちらも3泊4日の日程の中でどれだけ沢山の場所に足を運ぶ事が出来るか?と言う、まるで観光地タイムアタックの様な事をしたのですが、まあそれはそれで面白かったのですが、今は同じ事はとても出来ないと思います。
体力的な問題もありますが、時間内に沢山の場所を回る為に齷齪するよりも、特にお気に入りの2、3箇所だけを巡ってその1つ1つをじっくりと心行くまで堪能する方が心地良いと思う様になったからです。
たまの休日に特に予定も決めずにカフェや喫茶店でのんびり過ごしたり、公園で時間を気にせずボーッと過ごす事が好きになったのもおそらくこの発想で、時間内に沢山の場所を大急ぎ回ったところで、メンタルの焦りや身体の疲労感が増すだけで、心からそれらを楽しむ事は出来ないと最近になった気付いたのです。
特に自分の場合は気に入った場所であれば何度行っても飽きない質なので、公園などであれば季節毎に足を運ぶだけでも違った景色や雰囲気を楽しめますし、喫茶店やカフェなどはその店内の雰囲気を味わうだけでも癒されます。
こんな風に、敢えて何もせずに過ごす方が余程心身にとって充実した時間を過ごせる事に気付いたのです。
所詮、出来る事なんぞ限られている
現代人は何かにつけて『マルチタスク』になろうと行動しますが、アレはコンピューターやAIだから出来る事で、寧ろ生身の人間である自分達がマルチタスクを行うと一つ一つの作業が雑になってしまい、結果的に全体の生産性も質も低下するのでオススメ出来ないらしいです。
この事からも、人間が同時に出来る事や楽しめるキャパシティも限りがあると思うので、自分が心から楽しみたい事をタイムアタックの様に短時間に沢山詰め込んで無理に楽しもうとせず、『今日はこれだけ楽しもう』と時間にゆとりを持ってのんびりじっくり楽しんだ方が心身の充実感は大きいものになります。
また、『何もしない時間』と言うのは『創作の時間』でもあり、案外カフェなどでのんびりお茶をしたり公園で景色を見たり自然を感じたりしている時に創作のアイディアが湧いてくる事が結構多いので、クリエイティブな活動をされている人にはこの『何もしない時間』を持つ事は大事になってくると思います。
何れにしても、日々時間に追われながら様々な物事を同時にこなそうとする癖が染み付いた現代人にとって、敢えて何もしない時間を持つと言う事は現代では最大の贅沢であるのかもしれません。
まとめ
自分はどうにも持ち金に関しては『最低限の衣食住と画家活動が継続出来る分だけあれば良い』と言う考えが根強いせいか、自分の心身のキャパシティを超える仕事量や画家活動の時間を削ってまで労働時間に従事する事が最大のストレスになってしまうので、収入が少なくとも労働時間を増やそうとは考えません。
その分必然的に家で過ごす時間が増えるので、その間に画家活動の時間を重点的に増やし、それ以外には冒頭で書いた様に時々近郊に出掛けて気分転換をしたり、お気に入りのカフェでのんびりする方が、収入を増やして豪遊するよりも自分には余程幸せを感じられるのです。
まあ、幸せの形なんて人それぞれなので、今回自分が書いた幸せでは物足りないと言う人も居ると思いますので何とも言えませんが、自分の経験では短時間に好きな事ややりたい事を詰め込んだとしても、どれも十分には楽しめないのではないかと思います。
本当に好きな事ならじっくりと味わって楽しみたいと思うものです。