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道徳心は離れると薄くなる。



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今日も一日お疲れ様です、蟲人です。

先日読んでいた本の中で興味深い、けれども恐ろしい事が書いてあったので、今回はそれについて書いてみようと思います。




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SNSで人を傷付けてしまう人

自分のブログでも何度か書いた事がありますが、昨今のSNSでの酷い誹謗中傷はかなり問題になっており、SNSで匿名で誹謗中傷を書き込んだ方々が裁判沙汰になったり、実際に検挙・逮捕などの件数も増えてきている印象です。

と、なってくると必然的に話題となってくるのが、SNSなどの非対人コミュニケーションでのマナーやモラルであったり、書き込む相手が全く感情や心を持っていないロボットではなく、自分と同じ感情や心を持った生身の人間であると言う事を自覚する、と言う様な事だと思います。

そんな中、先日から読み進めていたとある本の中で、中々に恐ろしいが非常に興味深い情報が書いてあったので、今回はそれについて書いてみようと思います。

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道徳心は物理的距離に比例する

先日から読み進めていた本は、自分の足りないお頭では理解するのに時間が掛かってしまう様な、非常に難解で、しかし面白い内容の本でした。

それがこちらの『近代とホロコースト』と言う、何とも物騒なタイトルの本ですが、このタイトルに違わず内容も中々に凄いものです。

凄いと言うのはグロテスク表現と言う意味ではなく、何故一般市民が歴史的な惨事に手を貸す様な事が起きたのか?と言う、人間の行動心理に関するお話です。

簡潔に内容を書きますと、第二次世界大戦中にとある一国の独裁者が行ったとある民族に対して行ったホロコーストが何故起きたのか?を様々な視点から考察しているのですが、その中で自分としては非常に興味深かったのが『道徳心は物理的距離によって薄くなる』と言う事です。

ホロコーストの内容で考えると、まずホロコーストの手順を近代の産業化の様に分業化し、更に官僚的な手順(上司から部下に命令する形にする事でお互いに直接結果を見る事がない様にする)によって個々人への精神的負担(道徳心からの同情や罪悪感)を減らし、対象民族と接する機会を減らす事で対象民族を『人間』ではなく『非人間(任務対象、産業化した業務から作られる商品)』として扱うと言う様な事です(自分のお頭ではこう理解した)。

他にも様々な要因があるのですが、少なくともホロコーストの様な未曽有の惨事が起きたのは特定の民族に対する憎悪や遺恨ではなく、特定の民族から物理的に離された事で道徳心が薄くなった事が一因になった様です。

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SNSにも当て嵌まる事かもしれない

この本の内容を読んで、今世界中に普及しているSNSにもこのお話と似ている部分が結構多い様に自分は感じました。

確かにSNSでは遠くにいる人とも一瞬で簡単に繋がる事が出来るのですが、しかしそれはあくまでデータ上のでの話であり、実際に相手と直接会って話をしない、若しくはDMなどを通してやり取りをしない限りは、相手はただのアイコンとプロフィール欄に書かれたオマケ程度の文章だけの存在であり、あまり現実味の無い空想の存在の様であると思います。

これはテレビの向こう側で起きている紛争を見ても、あまり現実味がなくて自分とは違うの世界の話の様に感じる…と言うのに似ているかもしれません。

そんな風にSNS上は近そうな距離感の相手であっても物理的(或いは精神的)には非常に離れた存在であっては、やはり道徳心も比例して薄れてしまい、相手に常軌を逸した誹謗中傷を行っても心が痛む事は少ないのかもしれません。

そう考えると、果たしてSNSと言うツールは100パーセント良いものなのかと言う疑問が出てきますが、それは全ての物事に言える事でもあるので何とも言えませんが、『毒にならないものはなく、毒になる量があるだけだ』と言うパラケルススさんの有名で自分の好きな言葉が物語っているかもしれません。

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まとめ

自分はSNSに関しては、画家活動や作品を発表したり、他の作家さんとやり取りをする為の業務ツール、若しくは自分が好きな作家さんの作品を観たり、自分が興味を持っている分野(心理学など)の情報を観る勉強のツールと考えているので、プライベートでも四六時中スマホに齧り付く…と言う事はないです。

しかし、それは自分がスマホ以外に依存出来るものを持っているから出来ている事であり、生き甲斐や趣味など夢中になれるものがない人はスマホに依存してしまうのも致し方がない事かもしれません。

しかし、そうだとしてもSNSで他人を誹謗中傷して良い理由にも言い訳にもならないので、病的にSNS上で他人を攻撃する事は決して宜しくないです。

幾らSNS上だけの繋がりで、相手の本当の顔も名前も分からない現実味の無い存在であったとしても、その向こう側には確かに生身の人間が存在しているのです。

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