今日も一日お疲れ様です。蟲人です。
自分はどうにも時代の流行に乗るのが苦手な上、自分の中に時代遅れ気味のこだわりがありますが、逆にそのこだわりのお陰で自分の作品があるとも思っています。
『生』の作品を創り続けたい
へっぽこながら画家として絵を描く事を生き甲斐にしている自分の中では、絵と言うものはナマモノだと思っています。
自分が今まで描いてきた絵を見返してみても、今では『この頃の自分の絵、まだまだ下手くそだな〜』と思ってしまう様な絵でも、当時の自分の中ではそれが最高傑作だった訳で、今描いている絵も今の自分にとっては最高の絵であり、それが時間が経てばまた過去の絵となって…を繰り返す訳です。
ですので、絵と言うものは季節ごとに旬の食材がある食べ物の様に、その時に完成した絵はその時が一番の見頃であり、それを過ぎてしまえばもうその見頃が来る事はないのだと自分は何時も考えているのです。
敢えて手作業の作品にこだわる
昨今では自分の手元に1枚の原画があれば、その原画を元にTシャツ、マグカップ、巾着、スマホカバーなど、様々なオリジナルグッズを製作出来るサービスがお手頃且つ簡単に利用出来る時代です。
先日も友人と美術館に行った際には歴代の巨匠達の作品を使った沢山のオリジナルグッズが販売されていたり、イベントに参加させて頂く時にもそうしたオリジナルグッズを販売されている作家さんも沢山います。
ここで自分はそうしたオリジナルグッズを製作・販売する事に関して、『それは印刷物であって作品ではない!』なんて野暮な事を言うつもりは毛頭ありませんし、そうしたオリジナルグッズを大量生産して沢山販売する事で販売コストを下げる事は利益を出すには効率的であると思います。
それに比べて全て手作業の作品はそもそも完成に至るまでの手間隙が膨大であり、1つの作品に掛かるコストも高いのでそう簡単に大量生産なんて出来ませんし、結果的に販売する際の価格も高額になりがちです。
しかし冒頭でも書きましたが、自分の中では絵とは完成したその時が一番旬の『ナマモノ』であり、自分としては例え製作のコストや手間隙が掛かったとしても、それは画家としては愛すべき作品を創り出す為の当然の対価であり、寧ろその手間隙すらも作品共々愛すべき作業であり、何十枚と言うラフスケッチを描く事も、自分の思い描く色を出す為に何時間も絵の具を混ぜ続ける事も、キャンバスや木製パネルに何重にも色を乗せて深みを出す事も、すべての行程が自分の作品を旬なものとして完成させる上では必要なものであり、その行程の中で自分も絵に対して段々と愛着を持つ事で更に良い絵に仕上がってくれると思うのです。
そうして膨大な手間隙と愛着をかけて完成した作品を、オリジナルグッズとして量産・販売する方がコスト的にも良いのは分かっているのですが、自分としてはその愛着のある作品を量産品にしてしまう事がとても嫌なのです。
古きが新しきに化ける事もある
昨今の若者の間では自分達の親世代で流行っていたデザインや色彩が今また流行っている印象がありますが、自分達にとって古臭いものであっても、それを知らない世代からすればそれは新しいものです。
そして、歴代の巨匠達が創り出した芸術作品は今尚賞賛され続けており、定期的に展覧会を開催しても物凄いお客さんが足を運んでくれるのを見ていれば、古きものが必ずしも古臭く時代遅れであるとは言えませんし、寧ろ自分の内側から溢れ出す創作意欲を無視して、その時々の流行に気を遣っただけの作品が、その時代と共に置き去りにされてしまうのだと思います。
創作者としては製作費欲しさに作品を低価格で販売しようとしたり、流行りのデザインを模倣して購入して貰おうとしたりする事もあるかもしれませんが、結局最後に残るのは周りの動向に左右されずに『自分はこのスタイルの作品を創り続けける!』と言う信念を持ち続けた作品だと思うのです。
何より、自分の愛すべき作品を創り上げる行程すらも愛すべき手間隙であると思えなければ、良い作品なんて創り出せないのではないかなと自分は思うのです。
まとめ
今でこそ、自分も作品をお迎えしてくれる方々と出逢える様になってきたから、特に販売向けの作品であれば『このグッズの製作費に対してはこの位の価格で販売すれば赤字にならないかな』と考える様になりましたが、自己満足の為に描いている大型作品に関しては相変わらずコストガン無視で製作しています。
しかし、自分としてはそもそもに日々の仕事の収入も、販売向けの作品をお迎えして貰って得た収入も、全ては自分の描きたい絵を描く為の収入なので、これで自分は大いに納得しているのです。
自分にとっての最高傑作である旬の絵を描き続ける為に、自分は絵を描き続けているのです。