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自分は大した存在じゃない。



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今日も一日お疲れ様です、蟲人です。

自分は何か壮大な事を成し遂げる様な人間でも、画家として世界中から賞賛される人間でもなく、ただ人よりも絵を描く事がちょっと好きなだけの画家です。




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自分と言う存在は特別か?

現代は個人と言う存在に対して重点を置いている時代であり、生活する場所、仕事、結婚相手など、様々な事を自由に選んで生きられる時代です。

同時に現代は大量生産・大量消費で経済が回っている状況であり、その影響は職場で働いている人材も例外ではなく、自分が今お世話になっている職場それが顕著に現れており、繁忙期には9連勤11連勤する人が居たり(一応本人の意思で決められますが)、逆に閑散期になれば半強制的に出勤日を減らされたり(自分の場合は喜んで休む)、そうして身体や心のバランスを崩したり、収入が少なくて生活が出来なくなって退職されていく人を沢山見てきました。

自分と言う存在は世界にたった一人の特別な存在であると言い聞かされている一方で、消耗品の如く使い倒される人がいる現実の中で、果たして自分と言う存在は本当に特別な存在であるのかを考えてしまう事はあります。

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特別で在り続ける為に身を削る人

自分の職場に女性の方で物凄く働かれている方がいるのですが、一時期は週6連勤が何度も続いた時にいよいよ身体の調子を崩して数日お休みをされていましたが、その後体調が戻って出勤された時に聞いてみると、何と過労のストレスで生理が止まっていたと言う事でした。

その方、以前から職場での生産性ベスト3をキープする為に人よりも倍働いたり、頼まれれば毎日残業をしたりと、正直『そこまで頑張って働く必要はないのでは…?』と思っていたのですが、以前一度だけ『人から必要とされていないと不安でしょうがないのよね』と言われていたので、恐らくは自分が今の職場で必要とされている人材であると思いたいが為に、身体を壊してでも仕事に没頭してしまう様でした。

とは言え、自分の職場の仕事は高校生や大学生でも出来る様な仕事であり、生産性を出す事以外は割と誰でも出来る事ばかりなので、自分としては誰でも出来る仕事で自分の心身を犠牲にしてまで頑張った所で団栗の背比べだと思いますし、水の中では早い魚が陸では全くの無力になる様に、たまたまその仕事が不得意な人に勝ったとしても、それは自分が仕事がデキるからと言うよりはたまたま相手が不得手だったと言うだけの話です。

因みにその方は今でも生産性ベスト3をキープしようと頑張っていますが、最初は感謝していた上司の方々から段々と感謝されなくなったり、仕事量をどんどん増やされたり、生産性が少し下がると小言を言われたりしたらしく、憤慨されて今は休日出勤も残業もせずにさっさと帰る様になりました。

それで良いんだって。

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自分は大した存在ではない

自分は子供の頃から変な事を考える事が好きなのですが、『ゴキブリと自分の違いは何か?』と言う事は今でも時々考える事があります。

普通に考えたら『ゴキブリと人間なんて全然違うだろ!』と思うかもしれませんが、ゴキブリは昆虫で自分は哺乳類、ゴキブリは小さくて彼らと比べたら自分は大きい、ゴキブリは理性はないが自分は理性がある、とかそれくらいだと思います。

少なくともお互い生き物である事は違いませんし、何なら自分としてはゴキブリは物凄い速さ・物凄い薄い身体・物凄い危機察知能力で恐竜の時代から生き残っているし、ゴキブリ特有の体液(油?)で常に身体が殺菌されて清潔だし、正直生身一つでは何も出来ない人間よりも優れている所が多いと思っています。

そんな話はさておき何が言いたいのかと言いますと、確かに個人の自由を謳歌出来る現代では個人は尊重されて当然だと思いますし、この世に自分と言う存在はたった一人しか存在しない事を考えても特別であるかもしれませんが、みんながその特別感に対して気負いし過ぎであると思うのです。

今回のお話で職場の女性の方のお話を書きましたが、その話も元を辿ればその方が職場で自分を特別な存在(職場に必要な頼れる人材)として認めて欲しくて、自分のキャパシティ以上に頑張り過ぎた結果なのではいないかと思います。

恐らくはそうした人が現代には沢山存在していて、そんな人達にとって自分が誰からも必要とされない現実はあまりにも過酷であり、自分と言う存在は生きる価値がないと思い込んでしまうのかもしれません。

だからこそ自分のキャパシティを超えて無理をしてまで、自分は必要とされている特別な存在であろうと頑張り続けてしまうのかもしれません。

因みに今回の記事に関する自分なりの答えは、『自分はゴキブリよりは弱いけど絵を描く情熱だけは優っている程度の存在』と言う認識であり、絵を描く以外の事は大して興味もないし技量も良い訳ではないので、取り敢えず自分の生活を賄えるだけ働いているだけ偉いし、絵を描き続ける為だけの自分の人生や存在意義に十二分に満足しているので、大した存在でもない自分を他人を通して特別にする為に自分のキャパシティ以上に頑張る必要もないと思っています。

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まとめ

ゴキブリと自分を比べた時、ゴキブリの方が優っている部分が多い事を知った時には『自分ってゴキブリにも勝てない弱っちい存在だったのか…』と思った事もありましたが、ゴキブリにも勝てない様な存在がそこまで特別な存在な訳はないので、ならば最初から『自分は大した存在じゃないので背伸びする必要も無理をする必要もないな!』と大した事がない存在として開き直ってからは、逆に肩から余計な荷が降りて身軽になれた様に感じます。

画家として有名になって特別な存在になりたいと考えた事もありましたが、ただの一般人としてアルバイトで生活費を賄いながら、作品で得た収入でへっぽこながらも画家活動も継続出来ている、良い感じでどちらも気負いせず緩い感じで継続出来ている今が一番充実しているのです。

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