今日も一日お疲れ様です、蟲人です。
どんな業界でも仲良しグループでの贔屓はあるものですが、そんな事は気にせず自分のやりたい様に図太くあれば良いのです。
どんな業界でも贔屓は起きる
自分は毎日自分の描きたい絵を描ける事に大きな幸福と充実感でもって、世知辛いこの世の中を日々何とか生き抜いているのですが、世の中を世知辛いと感じてしまう原因の一つに、どんな業界であっても100%公平な場所はなく、そこには常に贔屓というものが存在しているという事があります。
会社や学校などの集団行動が顕著に現れる環境に身を置いている方なら、あの人は上司に取り入って贔屓されているとか、あの子は先輩に可愛がられて贔屓されてるとか、贔屓と言う存在は悪い意味で御存知かもしれません。
そして贔屓と言うものはアートの業界でも起こり得るものであり、あの人は主催の人と仲が良いから贔屓されているとか、あの人はアート会社に出展費を沢山払っているから贔屓されているなんて事はよくある事です。
贔屓の文化は当たり前の事
今回自分が言いたい事は、贔屓なんて悪習慣は断ち切るべきだ!と言いたいのではなく、寧ろ人間として生きる上で贔屓とはごく当たり前の習慣であるので、贔屓と言う行為自体に怒りや嫉妬の矛先を向けるのは間違いだと言いたいのです。
人間には『返報性の原理』と言うものがあり、簡単に言えば自分に何か良い事をしてくれた相手には同じ様に良い事をしてあげたくなると言うものですが、会社や学校などで起こる贔屓だって似た様なもんです。
贔屓されている側だって贔屓して欲しいから上司や先輩にあれやこれやと取り入る努力をしている訳で、そして後輩からあれやこれやとして貰った上司や先輩は『この子は自分に色々してくれているからこっちも何かしてあげないとな〜』と返報性の原理が見事に働いているだけなので、個人的には贔屓と言う文化は当たり前のものであり、自分からは何もせずにただ黙って贔屓されている人や贔屓している人に苛々を募らせても無駄だと思います。
もしも誰かが贔屓されていて腹が立つなら、自分自身がそれ以上に相手に贔屓して貰える様に努力をして贔屓されるか、もしくは最初から他人からの贔屓なんて当てにせずに自分のやりたい様に図太く生きている方が健全だと思います。
贔屓されなくても知ったこっちゃねえ
かく言う自分も少し前…自分の絵がまだ売れていなかった頃は、大きなイベントや展覧会に出ても思う様な結果が出ない事に対して、『賞を取った人は主催者と仲が良いから賞を貰えたんだ』とか『作品を沢山買って貰える人はコネがあるから売れるんだ』とか、今考えるとかなりみみっちい嫉妬を向けていたものです。
で、実際に自分がとあるアート会社の展覧会で賞を貰った時には、『あ、コレって自分の絵じゃなくてアート会社に沢山お金を払ったから貰えた賞なんだ…』と気付いた時、自分は他人に評価されたり贔屓される為に絵を描きたいのではなく、自分自身がこの世知辛い世の中を生き抜く為の唯一の心の支えとして絵を描きたいのだ気付いたのです。
そこからはただ只管に自分の描きたい絵を描きまくり、SNSで地道に作品を投稿し、自分の絵に合ったイベントや展覧会を吟味して参加する様になると、少しづつ自分の作品を好きと言いてくれる人や、作品を購入してくれる人に出逢える事が増え、イベントや展覧会に呼んで貰う事が増えていきました。
勿論、呼んで頂いたイベントや展覧会ではやはりある程度の贔屓はありますが、そんな時でも『あの作家さんは主催者に贔屓されて良い場所で参加してる!』なんて無駄な嫉妬はせず、『自分は贔屓されてないけど…この場所で自分をアピールする事は許可されたんだから思う存分にやらせて貰うぜ!』と結構図太く居られる様になりました。
自分は誰かに贔屓される為に画家をしているのではなく、自分の為に画家をしている事は、最後の瞬間まで決して忘れずに居たいと思うのです。
まとめ
自分は贔屓と言う文化に対しては肯定も否定もするつもりはありません。
贔屓と言うものは人間として生きていく上で必ず起こる現象であり、そこに良いも悪いもないと思います。
それは自分の力ではどうにもならない現象であり、どうにもならない現象に対してあれやこれやと文句を言うだけ無駄だという事実を早々に受け入れて、そんな贔屓が起きている現場であっても『自分は自分のやり方を存分にさせて貰うぜ〜』と言う図太さを持って生きる方が、人生はもっと気楽で生き易くなるのではないでしょうか。